Aug 03, 2009

アパート経営がうらやましい

中古ワンルームマンションなどの不動産投資をしているとアパート経営が羨望することになる。これは、中古ワンルームマンションは、区分所有なので、外観リフォームをしようとする理事会の承認が必要である。アパート経営の場合は、自分が決めたときに、すぐに行動に移すことができるのだ。ここでは、アパート経営の魅力だ
不動産投資で怖いのが便利な危険である。部屋が空いてしまっては、収益率も低くなってしまう。このようなお部屋のリスクに萎縮してしまい、中古ワンルームマンションの購入を悩んでいる人もいるのではないだろうか。もしそうなら、そんな人には不動産投資信託を推薦する。一度検討みればどうか。
 東日本大震災の津波の被害は、地理的に広範囲に及ぶだけでなく、モノに込められた思いも押し流していった。

【ビジネスパーソンボランティア:70万枚(推定)の写真を洗浄・複写する「思い出サルベージ」を手伝ってきた】

 家族や友人の大切なアルバム・写真もその中の1つだ。筆者は猛暑日が続く7月16日〜17日に宮城県山元町へ、写真洗浄・複写ボランティアに参加した。今回はそのリポートをお届けしたい。

●がれきの中から救い出した推定約70万点の写真

 ボランティアというと、避難所で救援物資の運搬や整理にあたったり、被災地でがれきや汚泥の除去を行ったりと、かなりの肉体労働を想像する人も多いはずだ。しかし写真の洗浄と複写も、神経を使う大変な作業であることには変わりはないが、力がないとできない種類のものではない。

 朝6時半に新宿駅前に集合した第8回「思い出サルベージ」の約70人の参加者のうち半数以上が女性。年配の人もおり、学会からの参加者、つまり普段は研究者という人も多い。いわゆる体力勝負の「ガテン系」なボランティアでないことは一目瞭然だ。

 ちょうど仙台で「東北六魂祭」(とうほくろっこんさい。青森ねぷたまつり、仙台七夕まつりなど東北のまつりをPRするイベント)が行われるタイミングで、チャーターバスの道のりは渋滞。約7時間かけて現地に到着した。ボランティアのスタッフから作業や注意事項の説明があり、メンバーは3つの班に分かれさっそく作業開始となった。被災地で見つかった写真は以下の3つの工程を経て、思い出を探す持ち主のもとに帰って行く。

・洗浄
・複写
・展示

 さらに筆者がボランティアに参加した2日目には「データ入力」という新しいステップが始まっていた。都合4つの工程すべてを、ボランティアとして実際に行ったので、その概要をご紹介したい。力仕事であるボランティアに二の足を踏んでいる人も、こういう貢献もある、という参考になれば幸いだ。

●海水と泥にまみれた写真を洗浄する

 津波にのまれた写真は、海水と泥によって汚れているだけでなく、塩分やバクテリアがその表面を浸食している。消防や自衛隊、ボランティアが回収した写真を、まずは地域ごとに整理し、そこから水を使って丁寧に汚れを落としていく。

 水中で行うその作業は非常に繊細だ。写真の表面を指先でゴム手袋越しに確認しながら、泥だけを静かに取り除く。インクジェットプリンタで印刷した写真の場合、一気に水洗いしてしまう。

 炎天下のプレハブ小屋での神経を使う作業だが、重なってくっついてしまった写真や泥の下から、子供の写真が出てくると思わず小さな歓声が上がる。もちろん、600人以上が亡くなったこの地域で、被写体や持ち主が健在である保証はない。それでも、誰かの思い出を1つ救い出せたという充足感がそこにはある。

 洗浄が終わった大量の写真は陰干しする。「思い出サルベージ」ではたとえ判別できない写真も破棄することはない。これだけの記録が失われたということも記憶として残しておく意義がある、と考えているからだ。

 こうして乾燥した写真は次の工程「複写」へと回される。

●傷みが進む写真をデジカメで撮影(複写)する

 洗浄が終わった写真も劣化は進んでいってしまう。また、洗浄のために分解が必要なアルバムは、その過程で写真を傷めてしまう恐れがあるため、デジタルデータとして複写・保存を行っている。こうしておくことで、後に紹介するデータベース化もスムースに行えるようになるのだ。

 複写もまた地道な作業だ。デジタル一眼レフカメラを固定し、レフ板で外光を調整し、できるだけ拡大に耐えうる状態で撮影する。アルバムならばページをめくりながら1枚1枚根気よく撮影していく。

 筆者もアシスタント役の女性ボランティアとペアとなり、シャッターを切っていったが、中には最近撮影したばかりの生まれたばかりの赤ちゃんやそれを囲む家族のアルバムも出てくる。こうやって、写真が流されてしまったということは、少なくとも家が半壊・全壊したことを意味するのだ。思わず「この人たちは無事だったのだろうか」と胸にこみ上げるものがあった。

 それに、まだ電力が十分にない被災地では、照明を一度にたくさん点灯してしまうと、撮影場所となっている病院全体のブレーカーが落ちてしまう恐れがある。従って撮影は、外光を頼りに微妙な調整を続けながら、日没との競争だ。クーラーのない部屋の中でひたすらシャッター音が響く。

●被災者が見つけやすいように展示する

 洗浄と撮影が終わった写真達は、町役場近くの「伝承館」に展示。もともとは、地域の民芸品などを展示し、後世に伝えることを目的とした施設――だが、今では震災前の記憶を伝える写真が持ち主に返る日を待っているのだ。

 「思い出サルベージ」では、あまりメディアでは報道されない宮城県宮元町の被害について、まずは知ってもらおうという趣旨で、データ化した写真の上映会も関東など各地で行っている。

 普段、電子書籍などのIT動向を追う筆者は、著名作家がたびたび指摘する「震災のあとに残された希望」をそこに見る思いがする。津波によってすべてを失ってしまった被災地では、震災前の日常を取り返すべく人々の努力が続いている。写真とその背景にある「物語」はその原動力となるものだからだ。

●データ入力によってより多くの人たちに写真を届けたい

 現地でこの活動を主導しているのは、社会情報学会の若手スタッフだ。それをニフティや富士フイルムなどの企業が支えている。口コミでその存在が知られていった「思い出サルベージ」には、5月の活動開始以降のべ約300人のボランティアが参加し、ついに約70万点(推定)の写真の洗浄と複写をほぼ完了できたという。

 現在は、複写(つまりデータ化した写真)をデータベース化する作業がスタートしている。地元の人に写真を見てもらい、そこに映っている人物や場所などの情報を写真とひもづけていくのだ。さらに大量の写真に対応するため、ボランティアスタッフによる写真へのタグ付け(卒業アルバムや結婚式といった、見かけ上で分かる写真の特性)も行われている。

 今後は、ニフティのクラウドサービスを活用することで、被災地の外に避難した町民にアクセス権を与え、インターネット経由で写真検索をできるようにすることも計画されているという。印刷方法が異なるため洗浄が困難な卒業アルバムについては、学校に保管されていて無事だったアルバムをやはり共有することを検討している。

●想定外の「思い出サルベージ」がIT活用の本丸だった

 社会情報学会に所属し、「思い出サルベージ」を最初に提案した溝口裕爾(みぞぐち・ゆうじ)さんに話を聞いた。溝口さんは、京都大学大学院の博士課程に在籍し、震災直後から現地入り、現在は京都と山元町を往復する日々を送っている。

 当初は、いわゆる「情報ボランティア」として避難所にPCを設置し、インターネットの回復と並行して、罹災(りさい)証明書のダウンロードなどにITの活用を進めたという。役所に出かけて長い行列に並ばなくてもよくなるため、被災者には好評だった。また車を失った人が中古車サイトにアクセスし、比較的早い時期に車を手に入れることもできたという(東北地方では車は移動手段としてとても重要だ)。

 また、Googleマップがいち早く被災地の現状を反映したため、現地の情勢把握にも威力を発揮した。「流されてしまった家がGoogleマップで見つかったこともあります」と溝口さん。被災した家が、海岸線から何メートル離れているか、避難所に居ながら確認できるのも貴重だったという。自治体の再建計画の中で海岸からの距離によっては新たに建物が建てられないからだ。

 主にそういったITサポートとして避難所に通っていく中で、被災者から「津波で傷んでしまった写真を、スキャンしてPCに取り込んで欲しい」と相談を受けたことが「思い出サルベージ」のきっかけ――と溝口さんは振り返る。傷みが進んでいた写真がきれいになって、PCの中にデータとして保存できたときに、その被災者が「津波で亡くなった子供がこれできちんと記憶に残る形になった」と喜んでくれたのだ。

 当時、消防・自衛隊ががれき撤去の際発見した写真やアルバムは、小学校の体育館いっぱいに集積していた。溝口さんら現地ボランティアに写真の専門知識はなかった。町役場と自衛隊に掛け合い、立ち入り禁止区域にあったその場所から、病院に写真を移動させ、「写真と洗浄と複写」という未体験の取り組みが始まったのだ。

 インターネットを通じて、プロの写真家と知り合い、現地に入ってもらいスタッフは写真についての講習を受けた。それまで、刷毛で写真の表面を削り取ってしまっていたが、「写真の洗浄は水中で行うもの」というのもそこではじめて得たノウハウだ。そこからワークフローをくみ上げて70万点の大量の写真・アルバムの洗浄・複写を終えるには、少数のスタッフと被災地の人々では手が回らない。多くの人手が必要だったが、溝口さんらは、ブロガーのいしたにまさきさんらの助言を受けながら、TwitterやFacebookで活動の存在を呼びかけ、多くのボランティアの参加を得ることができた。

 その甲斐あって山元町の写真の複写はほぼ完了したが「まだまだ他の地域では、ワークフローが確立できていなかったり、人手が足りてない場所も多いはず」と溝口さん。山元町でのデータ化の作業や、他の地域の「思い出サルベージ」的な活動にも関心をもってもらいたいと考えている。

 まだまだ被災地ではボランティア活動を広く求めている。いままで力仕事に二の足を踏んでいた人も、ネット上で検索すると意外と「自分でもできること」があることに驚かされるはずだ。ぜひ一歩を踏み出してほしい。興味のある人は日本社会情報学会災害支援チーム(JSIS-BJK)までご連絡を。

【まつもとあつし,Business Media 誠】


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Posted at 06:47 in Movie | WriteBacks (0) | Edit
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