May 24, 2011
週末のみ、救急病院の当直医の求人情報
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東日本大震災で大きな被害を受けた宮城県亘理町で同町出身の仙台育英高ラグビー部員13人がボランティアに励んでいる。本格的な練習から遠ざかって1カ月近くになるが「今は一人一人が役割を果たす時期」。One for all.All for one(一人はみんなのために。みんなは一人のために)と、ラグビー精神を発揮している。
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13人は町立亘理中学校ラグビー部出身。今月開催予定だった全国高校選抜ラグビーフットボール大会(毎日新聞社後援)に向けて練習を重ねていたが、震災後は自宅に待機し3月22日に町災害ボランティアセンターに登録。同24日から住宅の汚泥除去や片づけを手伝っている。
7日は同町の元教員、佐々木寛さん(61)方を訪れ、敷地や住宅内を覆った泥を取り除いたり畳やピアノなどを外に運び出したりした。
◇「仕事はかどる」
佐々木さんは「若い人たちの馬力はすごい。仕事がはかどります」と喜んだ。
祖父の家が被災したというラグビー部主将、佐々木健太さん(17)は「被災地の惨状を見て言葉にならなかった。大人は日中仕事があるので、僕ら高校生がみんなのために役割を果たさなければ」と話した。【高橋宗男】
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西岡武夫参院議長は7日の記者会見で、東日本大震災や福島第1原発事故をめぐる菅直人首相の対応について「やるべきことをやってない。菅内閣が今の状態で国政を担当するのは許されない」と厳しく批判した。その上で「首相が(私の意見を)聞かなければ、アクションを起こさざるを得ない」と退陣を求める意向も示唆した。
東日本大震災の復旧・復興計画立案のために新設する「復興構想会議」については、「幾つ会議をつくれば気が済むのか。(首相の)責任逃れとしか思えない。会議が踊っている」と強調。また、「議論している暇はない。復興構想会議はやめて、首相がどう復興するか方針を示すのが先だ」と述べた。
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震災対応で菅政権は機能しているのか?
捜索現場上空には風に乗ってヒバリが鳴いていた。春を告げる暖かな南風。だが、その方向には危機的状況が続く東京電力福島第1原発がある。半径20キロ圏内の避難指示区域にある福島県南相馬市で7日、警視庁機動隊による行方不明者の捜索が始まった。カメラマンとともに同行した私は、汗をかいた額に風を感じ、不安になる。防護服フードに隙間(すきま)がないか、あわててチェックした。
【福島第1原発】20キロ圏内を大規模捜索 警視庁
同原発の北約18キロにある同市原町区小沢の海岸線。約250人の機動隊員は防護服を着用し、放射線量を測定しながらの捜索となった。私も同じ防護服を着用した。線量計も首からさげる。露出しないようガムテープを手足に何重にも巻いた。警察官のつらさを思う。
線量計がたえず気になった。1時間以上いても「0.000」のまま。ゴーグルが曇っても外せない。わずか18キロ先の原発が吐き出す放射性物質の見えない恐怖があるのだ。【滝野隆浩】
◇人のいない現場
福島県は、行方不明者数が死者数の3倍以上と、近隣の宮城県などの被災県と比べて際だって多い。福島第1原発事故の影響で放射線量が高く捜索が進まないためで、20キロ圏内はがれきも手つかずの状態となっている。一度も自宅に戻れない避難住民からは、「せめて遺体の回収を早くしてほしい」という強い要望が出ていた。当然の要望だと思う。
この日、警視庁の機動隊員は不自由な防護服で黙々と作業を進め、3遺体を収容した。一方、福島県警は3日から既に20キロ圏内の捜索を始めていた。ある県警幹部は「我々も、本当はもっと(捜索を)やりたいんだけど……」と悔しさを吐きだした。
93年の北海道南西沖地震で津波に襲われた北海道・奥尻島も、04年のインド洋大津波で被災したインドネシア・アチェも、私は現場に行った。巨大津波の現場では、家を車を船をなぎ倒し、流し去る圧倒的な自然の力を感じさせられた。それはここでも同じ。しかし、「フクシマ」は決定的に違った。人が現場にいないのだ、まもなく1カ月たつのに。
奥尻でも、熱帯のアチェでも、すぐに人は復興に向けて動き出していた。それはある種、感動的な事実でもあった。人間の強さを思い知らされた。だが、福島には、毎日「危機」を吐き出し続ける原発がある。住民は怖くて近寄れない。
現場に立って初めて思い至った。大地震が発生し、津波が襲った3月11日から12日にかけて、あるいはそれから数日、「助かる命」はあったはずなのだ。同じ被災地の宮城でも、岩手でも、同じ時期に多くの命が救われた。しかし、フクシマでは高い放射線量がそれを許さなかった。行方不明者の捜索すらできない状況を、住民はどういう思いで見守っていたのか。
原発事故は、農業にも漁業にも甚大な被害をもたらした。それは「生活」の破壊だろう。しかし、それよりも、そこで暮らす人たちが自分の肉親の遺体も確認できなかったのだ。「死」さえも中ぶらりんにさらされている。「尊厳」をも破壊していると感じる。
◇涙のランドセル
機動隊員ががれきの中から位牌(いはい)やアルバムを集めている。赤いランドセルが泥だらけで、見ているだけで悲しくなる。遺品を置いて、そっと手を合わせて機動隊員が自分の持ち場に帰っていく。その表情は固く締め付けられた白い防護服に包まれて、うかがえなかった。
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